段ボール1個から気軽に預けられる倉庫から、絵画やワインなど富裕層向けの特別な倉庫まで、倉庫のイメージを根底から変えた異色の経営者、中野善壽氏。
殺風景だった倉庫街『天王洲』の街づくりも行い、オシャレなお出かけスポットに大変身させた、敏腕社長中野善壽氏の経歴や家族についてレポートします。

カンブリア宮殿/テレビ東京
2019年4月11日放送

中野善壽社長の学歴、経歴は?

中野善壽(なかのよしひさ)
1944年生まれ

千葉商科大学を卒業後、伊勢丹に入社。その後、鈴屋に転職。パリ、ニューヨーク等の海外事業や商品開発を担当。鈴屋で、専務にまで昇格されています。’97年に台湾へ渡り、力覇集団、遠東集団などの百貨店を中心に複数の海外事業経営に関わりました。

再開発を先導してきた寺田倉庫に、代表取締役社長として就任したのが2011年。以後の2年間で、 不動産事業などの関連事業を売却し、 1000人以上いた社員を100人程度に削減、大胆な経営戦略を行った。
その結果、 売上は7分の1となったが、手元資金であるキャッシュフローは、8倍という、瞬発力と勢いのある企業に生まれ変わった。

40代から台湾に在住し、台湾を拠点に世界各国を仕事で飛びまわるという生活。
日本へは週に2日出社するという形で現在進行形。

2015年からは、中華民国政府文化部名誉顧問にも就任。
ウェブサービス構築や、スペースを活かしたアートコンテンツ事業を展開中。

中野善壽社長の家族は?

中野社長は幼いころから、両親はいなかったようで、祖父母に育てられたそうです。その祖父母も、中野社長が小学生の頃に亡くなっています。
祖父の勧めで、小学生から野球を続けました。特別、野球が好きだったわけではありませんが、勧めてくれた祖父に申し訳ないという気持ちがあったため大学まではと、続けたそうです。

中野善壽さんの家族や、奥様について、調べてみましたが、プライベートの情報はほとんど皆無です。

でも、お子さんはいるようです。

なぜならば、滝川クリステルさんとのインタビューで、お子さんがいるようなお話しぶりです!


下手にモノを持つと子供たちが喧嘩するしね。

資産はプラスマイナス0円で死にたいなあと。



【滝川クリステル】寺田倉庫CEO中野善壽「稼いだお金は全額寄付する」

子供たち、喧嘩するってことは、2人以上いらっしゃるようですね。

奥様については、不明です。できるだけ、マスコミを避けているそうです。
その理由は、このように語っておられます。


戦後の何もない時代に育ったというのもあるけど。

それに僕らの世代は40〜50代の働き盛りにバブル経済を経験しています。

人は同じだけの福を与えられていると僕は思っていて、人生の早い段階で使い切ってしまったように思える人が周囲に結構いたんですね。

そして悲劇のきっかけは、たいていカネとマスコミ。ナントカ賞も怖い。


【滝川クリステル】寺田倉庫CEO中野善壽「稼いだお金は全額寄付する」

色々な方を、第一線で見てこられた経験値からのお考えだと思います。

稼いだお金は全額寄付!寄付の理由は?

27歳の時から、東南アジアの女性の就職支援や、子供達の教育支援をなさっています。
きっかけは、 知り合いから不遇な状況にある方たちの話を聴いた事でした。
その当時は、半年に5千円の寄付金で、5人の子供達が、高校まで進学できたのです。銀座で飲んだら、一回でなくなってしまう金額だし、物欲もない。
ならば、寄付をして、社会に還元しようと考え、今に至っているそうです。

台湾にある、現在のお住まいも、ご自宅ではなく、1ヶ月12,000円の借家です。家も持たなければ、車も、高級腕時計も持たない徹底ぶり。ミニマリストとしても、有名です。
日本に来る時は、寺田倉庫が用意してくれるお部屋に滞在するそうです。

生きるために必要なお金を除いて、稼いだお金は全額寄付してしまう。だから、稼ぎの割には、お金がないと笑って仰る中野社長、本当にカッコE生き方ですね。

まとめ
中野善壽さんの経歴は、

・両親はおらず、幼いころから祖父母に育てられた。

・祖父の勧めで大学まで、野球を続けた。

・千葉商科大学を卒業後、伊勢丹に就職、鈴屋に転職、そこで専務まで昇格。

・鈴屋を退職後、台湾で百貨店の海外事業経営に携わる。

・古くからの知人、寺田倉庫現会長との縁で、2011年寺田倉庫の代表取締役社長に就任。

・お子さんは2人以上(予想)

・奥様については不明

・稼いだお金は、生活に必要なお金を除いて、全額寄付。

・27歳から、東南アジアの女性の就職支援や子供達の教育支援を続けているそうです。

今後の中野善壽社長の経営手腕や寺田倉庫の事業展開に興味がわいて、天王洲アルスの発展が楽しみですね。
最後まで、ありがとうございました。